薩摩土手は、正式には、駿府御囲堤(すんぷおかこいづつみ)という名称。
徳川家康の指示で、1606年ころに作られた。これは、大御所になって静岡へ引っ越してくる直前のタイミングで、終の住処として選んだ静岡の街づくりの最初の一歩だろう。
この薩摩土手の土木工事によって、安倍川の流れが安定して、城下町として駿河の発展につながったとされている。
2017年 平成29年度に、土木学会の選奨土木遺産となった。
選奨理由は、徳川家康による駿府城拡張工事に伴って,駿府の町を安倍川の洪水から守るために設置された土手で、今でも洪水防御機能を有した貴重な御囲堤であるということ。
所在地・住所は、静岡県静岡市葵区井宮町から水道町にかけて。
「徳川家康による駿府城拡張工事」は、全国の諸大名を動員して行う、
いわゆる「天下普請 (公共工事)」で「薩摩土手」の名前の由来は、
特に薩摩の島津忠恒が運び込んだ大量の石・材木で築かれたという伝承からだ。
だかこれについて、しっかりした資料が残っている訳ではないらしい。
当時、安倍川は流れる場所を次々かえて東向きにも流れていた時期があった。そこで、家康の指示で「薩摩土手」を作り、川の流れを変えて、駿府城下を水害から守り、発展させた。
「薩摩土手」現在では、さらに西側に堤防が築かれたため、ほとんどが取り壊されている。
井宮神社のところと、取り壊された場所の跡地が「さつま通り」となって残っているくらいだ。
江戸時代当時は、井宮の妙見神社(井宮神社)前から、弥勒まで約4kmの間に土手が築かれたことで、それまで別々に流れていた安倍川と藁科川 を合流させたという。
↓この地図の黒い線のとこ。ここ、薩摩土手なんじゃないかなぁ。位置的にはそうだよね?
また、駿府城付近を含めて、東や(北に!も)流れていたという安倍川の枝川を1本化し、全体に西側に移動させることによって、単純に北から南に流れるよう設計された工事だった。
土手の起点の井宮から少し南に下ると、駿河国総社 静岡浅間神社があるが、ここから北へ折れ曲がって川が流れていたというのは知らなかったけど
静岡市が舞台のブラタモリ
の、見出しにあるのが、その川じゃない?と思ったら、これは現在のお話。
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井宮神社の「薩摩土手」と記念碑は、静岡駅からは、静鉄バス「安倍線」で、10分ほど。「妙見下」下車すると、バス停からすぐのところにある。
妙見さん井宮神社の由来
1.井宮神社
井宮神社は、今川氏三代(駿河今川家初代)の今川範国氏により西暦 1336年 (延元2年) 駿府への水の取り入れ口として、
現在の地に、これを守る賞として、水神 (瀬織津比売命)を祀ったの が始まりです。水の取り入れる宮、すなわち 井宮神社と名付けられま した。それで、この地を井の宮と呼ばれるようになったと言われます。 家康公は、駿府人質時代、臨済寺住職、大原雪齋による勉学の帰り、 当神社に寄り、近在の農民 今川氏の民兵) による石合戦 (戦闘訓練) 度々見ていたらしい。後の戦に、これを参考にしたようです。
- 内津神社 (北辰宮 妙見宮)
徳川家康公が駿河を統治した 1588年(天正18年) 尾張の国 内津町から、大和武尊が、 建立した内津神社 (内内神社)から 北辰妙見宮を勧請して現在の地に 内津神社を建立した。
請記録を辿ると、妙見宮が妙見社と記されるようになり、 維新政府の 神仏分離策の一環で内津神社と名乗るようになったと思われる。
このようなうちに、 瀬織津比売命を祀る井宮神社の社殿の腐朽が進み、 為に、そのご神体を同じ境内にある内津神社の社殿にお移しして、 以来両神社名が融合するようになったのではないかと考えられる。
- 白山神社 秋葉神社保食稲荷
現在は、元瑞龍寺境内にあった、 白山神社と秋葉神社並びに
保食稲荷が合祀されています。 保食稲荷は井宮監獄所の鎮守でした。
- 七夕祭
内津神社のご神体は、北辰 (陰陽道) と尊ばれる北極星の花神である 妙見菩薩で、国土を守り、災害を除き、人の福寿を増す有り難い神様 と信仰されています。
当神社では、町を守る神様を崇めて8月に七夕祭りを行います。
参考資料 郷土史家 飯塚伝太郎氏・元県議 松永ひろじ氏 調べより引用
薩摩土手を西へ向かってどんどんあるいていくと、近代に作った安倍川の土手に行き当たった。
ほんとうに、この「薩摩土手」が、静岡(駿府)の町を水から守っていたんだなぁと、実感した瞬間。
安倍川の、今の土手と、高さも変わらない。
この足の下の土手の石が、船で薩摩から運ばれてきていたなんて、なんだか不思議だね。
こんどこの名所旧跡マップで探検しにいこう。
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