5坪の家・設計士モリさんが急逝された。5坪の家の建築は、、どうなるのか、、建築の行方は?

5坪の家・ミサエハウス

本日、令和5年11月12日、モリさん急逝のご連絡をいただいた、え??信じられない?!、頭が真っ白に。

5坪の家の設計をお願いしていた、それ以上に、モリさんとのお付き合いは自分にとって、大切なものだった。

友人というのは、おこがましい。

自転車行政、自治防災への取り組み、視覚障害者支援、女性労働の話もできる、頼もしい先輩だった。

そして何より、モリさんちで開催される飲み会「いろりの会」での楽しい思い出。いただいた、数多くのネットワーク。

そもそも、モリさんと知り合ったのは、自転車ツーキニスト・NPO法人自転車活用推進研究会 理事のヒキタさんから、モリさんにプレゼントされた自転車を、東京から静岡まで運ぶのに、

「自転車をトラックで運ぶのもナンだから、自転車に乗って、自転車で静岡まで来よう」

っていう企画が「いろりの会」勃発して、「サポートしてくれる自転車に詳しい人を探そう!」っていうモリさんの作戦に、わたしが引っ掛かったという・・・自転車つながりだった。

その後、日本橋を出発したヒキタさんの自転車は、東海道を走り、箱根を超え、静岡を通り過ぎ、東海道全部を走破して京都にいたる、大々的な自転車行事に発展した。

その間、自転車であちこち走って、道々で、いろんな人とお会いして、おいしモノ食べて。楽しかったな~

5坪の家を頼むことになってから、ふたりで一緒に、9坪ハウスまでドライブしながら泊まりに行って、焼き肉食べたっけ。。

6坪の家→5坪の家に。9坪の宿 スミレアオイハウスに、モリさんと泊まってきた。
東京都三鷹市にある、「スミレアオイハウス」は、1950年代の「最小限住宅(建築家・増沢洵さん設計)」を小泉誠さんがリデザインして建てた家。 「9坪ハウス」「スミレアオイハウス」と名付けられリビングデザインセンターOZONEに勤めていた萩原修...

土地探しにも、あちこち付き合ってくれて、帰りにグルメ・ランチするのが楽しかった。

リノベーション候補の中古住宅と、ヘンな飛び地つき土地をモリさんと見に行く
1年ほども狙っていた土地が購入できなくなったので、 家探しはゼロから再スタートです。 きょうは設計をお願いするモリさんと候補の土地を見に行きます 購入できなくなった土地の近所でみつけた、中古住宅を見に行く この中古住宅は、購入できなくなった...

モリさんのやっている活動のホームページを作ったり、チラシを制作したり、その打ち合わせや、ホームページ更新の練習レッスンで一生懸命チャレンジしてたモリさん。

さくらの架け橋会
さくらの架け橋会は音楽を通してさまざまな人・物・情報をつなげていく架け橋を目指しています。

 

モリさんの笑顔が思い出されて、涙が止まらない。

モリさん、早いよ、なんで。なんで。

「来週くらいから、基礎に入れるかな~、11月24日には材木搬入の予定!もう少しはっきりしたら、文書にしてメールするよ」

そう電話で話した11月10日の夜、ひとり旅立ってしまった。

私の家の細々したことを、頭の中に仕舞ったまま、天国行っちゃうなんて。

「あはは、悪いっけね、ほんださん、なんとかなるって。はいっ、なんとかする!! あはは」

はいはい、モリさんお得意の「何とかする!精神」で、ふたりで創るつもりだった、5坪の家、ひとりで頑張って建ててみる、見てて!見守ってて!

ありがとう

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