自宅を手放すことに、なんの躊躇もないという価値観
家を売ることにした....それは
2004年に建てた、6SLDK3階建ての自宅を売ることにした。
というのも。3人の子どもたちと暮らすシングルマザーだった当時、自分が死んだら子どもたちが路頭に迷うなぁと、かなりの金額の生命保険に加入していた。
で、住宅ローンを借りて自宅を建てれば、自分になにかあったとき、家だけは残るから、生命保険の保険料を節約できると考えたからだった。
地元の新聞社の正社員だったから、それなりに収入はあったけど、遺族年金は子どもにはほとんど渡らない。配偶者がいないシングルマザーだと役に立たないのだった。(当時)
巨大な自宅のそのわけは..
そんなときに、母が同居して、一緒に暮らそうと言い出したこともあって、6SLDK3階建てという巨大な家を建てることになった。
母の部屋は、そのうち2部屋。
この話には落ちがあって、家が出来上がって、いざ引っ越しまで1週間となったある日、母の家へ行くと、台所のすみでうずくまって母がシクシクと泣いている。
「お父さんとの思い出の詰まったこの家(実家)を出て、新しい家に引っ越したくない」
そして本当に引っ越して来なかったのだ!!!
家建てようと誘っておいて....orz...まじか...そんなこんなで、母と同居はせず15年が過ぎた。
いよいよ、母が引っ越してきたのは、自営していた飲食店を閉め、引退したあと。すでに、うちの子どもたち全員が家を出て独立したあとのことだった。
母との同居生活が始まってはみたものの。
この家のローン、子どもたちの学費・生活費を稼ぐために、365日・1日15時間働いていた。
子どもたちが同居していたころは、朝ごはんとお弁当、夜は、夕飯を作らねばならず、わりと自宅にぎちんと帰っていたけれど、子どもたちが独立して、一人暮らしになったあとも学資ローンの返済、もちろん住宅ローンの返済があるから、引き続き365日、1日平均15~18時間働く。子供はいないし、自宅に戻るのは寝るときだけの生活。
だから、母と2人暮らししていた時期、正直、「同居」してる感はなかった。
私が家を出るころ、母は寝ていて、私が家に帰るころにも、母は寝ている。
同じ家にいても、顔をあわせることがほとんどなかった。
そして、母は腰を悪くした。
ヘルニアを患い、日赤で手術→入院→リハビリ病院→サービス付高齢者住宅
とんとん拍子に母の身の振り方が決まっていく。
妹が介護専門の病院で看護士をしているから、プロの視点で、母の身体と暮らし第一で、サービス付高齢者住宅への入居がきまった。
母とも同居しないとなれば、これからは一人暮らし。
え~~、この7部屋もある広い家で、ひとりでずっと住み続けるのか~と考えていると、、、、、、やめよう、だって、こんな広い家いらないし。面倒くさい。
家売ろう~と決めた。
引っ越し先は、2DKのちょっと古めのアバート
これまでの家が広すぎで、自分ひとりなら、これくらいの広さで十分と探した2DKのアパート。
ここは猫可物件なので3カ月分、ふつうより高額な敷金を払って入居した。
前の家を売るにあたって、猫たちがつけた、柱や壁や床の猫の爪あとを
「全てリフォームしなければ売れない」という事情があったのだ。
アパートを好みにリフォームしちゃったよ~
アパート、古いだけあって、やっぱりレトロで使い勝手が悪い所も。
敷金も払ってあるし、好みに改装しちゃお(もちろん大家さん許可してもらって)ということで、
フローリングとクローゼットをリフォーム。
フローリングは、この床材を張らないと、ルンバが敷居を通過できない事情があって、どうしてもリフォームしたかったところ。
そして、3階建て7部屋の家から、2部屋の家に引っ越してストレス溜まるだろうなぁ~な猫たちのために突っ張りDYIで、キャットウォークを設置!気に入ってるみたいで、安心~。
もともと押し入れだったクローゼットは扉だけじゃなくて、洋服を掛けられるようにポールも設置して使いやすくなりました。
家具はほとんど、処分して、テーブルと椅子は、キャンプ用の組立式です。
玄関・台所につけた収納は、プラダン製。
調理器具もいろいろと断捨離。トースター・炊飯器などなどなどなくなり無水鍋が登場。
ルンバも3台から1台になりました。
このアパートは、古いから?庭つき駐車場つきでかなり格安。住宅ローン払ってたときに比べて維持費は、36%。ひとりと二匹に十分な広さ。
三階建てで、移動はもちろだけど掃除もたいへんだったあの家から、身の丈に合った、気に入った空間へ。かなり身軽になりました。もっと自分らしく暮らしていけそうです。
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